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桜に碇 その⑥ パールハーバーⅡ 戦艦ミズリー

2011/12/30

桜に碇
 
si3.jpg
 


その⑥ パールハーバーⅡ 戦艦ミズリー編


舞鶴の海自護衛艦に上がる旭日旗、右はパールハーバーアリゾナ記念館上の星条旗
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施設側の説明要旨
「ヤマモトは大鑑巨砲主義時代の終焉し空母機動部隊の時代になることを世界でいち早く認識していた人物」
「ヤマモトは最後まで米国との開戦に反対し続けていたが、一方開戦に備えた作戦も研究していた」
「米国は日本の攻撃を事前に無線解読していた」
「日本は不意打ちをしてきた」
「民間人にも犠牲者が出た」
すでにこの段階で矛盾があるのは言うまでもないのであるが・・・

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戦艦ミズリーは太平洋戦争末期の昭和19年に完成。
艦長と速力及び主砲発射速度において戦艦大和に勝る。
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硫黄島、沖縄の戦闘に参加、室蘭や日立市への艦砲射撃にも参加している。m4.jpg

朝鮮戦争後一時引退、数十年後の80年代に装備一新し復帰。
なんと湾岸戦争にも参加、その後に完全引退。
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昭和20年9月2日 降伏調印式
チェスター・ニミッツ海軍元帥と連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は甲板上で待つ重光、梅津を眼下に見おろしながら、ミズリー作戦室から降りてくる。すべての動作に台本があったそうである。
また米国側は江戸末期のペリー来航時の場所にこだわりをもち、調印時はほぼ同じ場所にミズリーを停泊させ調印式に臨んだ。

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調印が行われたまさに「その場所」に立つ
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調印文書、よく見ると一行分空白が。
カナダ代表が行を間違え署名、重光らはこれに激しく抵抗、訂正印の押印にて妥協した。

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ミズリーへの 「カミカゼ・アタック」 の瞬間
激突後、パイロット上半身のみ引きちぎれ艦上へ飛び、甲板は火の海に
艦長は乗組員の猛反対を説き伏せ、「軍葬」として水葬していただいたそうである。
kamikaze.jpg

現在も残る激突時の凹み
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自らの手をその凹みにかけて撮影
この後甲板上で合掌。
隣にいた白人から嘲笑されるも、御霊に黙祷をささげた。
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アリゾナ残骸の向こうにには戦艦ミズリー
真珠湾にはまさに「太平洋戦争の始まりと終わり」が存在した。

淵田美津夫という元日本海軍中佐がいた。
真珠湾攻撃においては隊長として真珠湾を攻撃、その後戦時下を生き延び何とミズリー上の調印式にも立ち会っている。
まさに太平洋戦争の最初と最後、その現場にいた唯一の日本人である。
戦後淵田は何とキリスト教伝道師として世界へ伝道活動に、180度反対の人生を歩み始める。
親友で真珠湾奇襲の立案者であった 故 源田実が国会議員として戦後日本の表舞台で活躍したのとは対称的である。

帰国後は重度の糖尿病の身でありながら朝からビールを食事とする何とも悲哀なアル中生活。
見かねた周囲から市長や知事選挙への要請や推挙をうけるもこれを固辞。

映画「トラトラトラ」の制作協力依頼も断り、郷里の奈良橿原の畝傍にて
妻に看取られながら静かに息をひきとったという。


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最後に・・・・・
基地内の艦艇、記念館等すべての展示において原爆投下に関する展示は見あたらなかった・・・・・


※ 桜に碇シリーズは右側カテゴリー欄の「桜に碇」から早見できます



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コメント

確かに疑問符が多いにのこる開戦でした。

この種の展示は「ナショナリズムを高揚させる」ものでは無く「考えさせられる」展示であるべきだと思います。その意味では予想外にニュートラルな印象をうけました。
アジアのどこかの二つの国のような、嘘とねつ造で塗り固めた戦争博物館には閉口辟易しますが・・・

今回は大作でしたネェ―。
アリゾナ記念館には僕も行きましたが、30年も前のこで
当時は米国人の異様な視線を感じました。
旭日旗と米国旗の並んだ写真がいいですね。
知れば知るほど謎と矛盾の多い開戦だったと思います。

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